岩崎です。今日でFFXIサービス開始から丁度10年ですね。
関係者の皆様おめでとうございます!!
昨晩ツイッターでFFXI 10周年おめでとう!とつぶやいたら、植松師匠からこんなメッセージを頂き思わず、感極まってしまいました。
@HidenoriIwasaki ホントに早いねぇ。当時僕はもう疲れきっていて、自分に自身を失くしかけてたの。でも岩崎にマニピュレートをお願いしてあったロンフォールが自分の予想以上の出来で、もし周りに助けてくれる人がいれば自分はまだやれるかもって思ったこと覚えてる。さんきゅ!
何ともありがたい一言です。ありがとうございます。
この節目にFFXI開発初期に関わったスタッフとして、開発当初の事を音楽サイドから振り返ってみようと思います。先週水田さんと10周年で記事書きましょうね~なんて話をしましたので、水田さんもきっと何か書いてくれるはずですよ。
FFXIのサービス開始は2002年5月15日ですから、ゲーム開発は前年の2001年には始動しておりました。
2001年当時と言えば社名はまだスクウェア。本社は目黒のアルコタワーという場所にありました。目黒川沿いの建物で、桜の季節には絶好のお花見スポットでした。
我らがサウンド室は9階に、そしてFFXIチームは17階に構えていたように記憶しています。(誰か間違っていたら訂正して下さい)
リーダーミーティングというのが週一回あって、サウンドからは水田さん、効果音の矢島君、そして当時シンセオペレーターをしていた僕の3名が出席していました。
僕は水田さんが作曲したものを、山のようなシンセ群を使って(当時は24Uラックのタワーが2つあった!)マニピュレート→PS2に内蔵音源化→ミックスという業務がメインでしたが、ハードディスクを使った初のゲームということで、PS2の音のメモリー配分や鳴らし方といった仕様を、矢島君と一緒にメインプログラマーと交渉する役目も担っていました。
音楽はストリーミング再生でという前提で進んでいたのですが、当時はネットワークの負荷がどのくらいになるのか、など事前に検証しきれない部分も多く、最終的には内蔵音源(このほうが、ハードにやさしいけれど音はどうしてもしょぼめになる)に落ち着いたんですね。
関係者各々と散々やりあったあげく、内蔵音源に決まった時は、すごく悔しかったのを憶えています(笑)
写真は開発初期にメインのプランナーだった加藤さんが作ってくれた音楽の覚え書きです。こういうのを見ながらゲームの作曲ってスタートするのですよ。
確かに音楽はストリーミングで!と書いてありますね^^CD1枚というのはサントラの事ではなくてデータサイズの事です。
リーダーミーティングはFFXIチーム側には弘道さん、石井さん、成田賢さん、加藤さん、みやっちさん なんかがいたかなぁ、、(分かる人だけ分かって下さい) 司会はいつも成田さんがしていましたね。
植松さんはFFXの作曲と平行していたので、後から合流するから、水田、岩崎で先に進めていてくれみたいな感じでした。
水田さんと一緒に仕事をするのは初めてでした。
水田さんは大阪時代にパラサイトイブ2などで一人で内蔵音源化までされていたので、分業する以上は、僕が圧倒的なクオリティーを提供しなくては意味がないぞ!という思いで仕事に臨んだのを憶えてます。
幸いにして、FFXIの前哨戦としてテトラマスターというカードゲームの音楽を水田さんと一緒にすることになり、そこでお互いを知る事が出来ました。
そしていよいよFFXIの開発開始!と言う時に、水田さんが僕の部屋にSTAR WARSのCDを持って来ました。
そして一言「これみたいな鳴り(ナリ)にして下さい。」
げふっ
無茶言うなぁと思うの半分、よっしゃやってやるぜ!究極の内蔵音源クオリティーをたたき出してやる!という思い半分でした。当時は機材の量は半端なく持っていましたが、今ほど便利な環境ではなかったので、1曲シンセオペレートして内蔵音源にしてミックスするという作業に平気でまるまる5日かかるなんてこともあり、よく会社に泊まりました。
オンラインゲームの音楽は今までのパッケージのゲームに比べて如何に長く、そして何度も何年にもわたって聴かれる事になるかということは想定していました。
従来のような高域と低域を持ち上げて派手に鳴らすという手法は取らずに、何百回聴いても飽きないようなサウンドを目指そうと考えました。
最初の曲はマウラだったかな。
水田さんはサンドリアのつもりで作曲して企画の加藤さんに持って行ったら、「全然違う。もっと大都市なんですよサンドリアは!」という話になった。
加藤さんはクロノクロスをやられた直後だったので、初めて仕事をする水田さんとしては、少しクロノっぽいサウンドを意識してもっていった所もあったように記憶しています。
まだサンドリアが何かもみんな分からなかった。すべては文章と挿し絵位しかまだなかった。
僕的にはサンドリアといえば、バグパイプ。当時はシンセで使える(実用性がある)バグパイプの音色が限られていて、多くのクリエーターがJV1080(2080) の音を使ってたんですが、絶対にそれは使いたくなかった。でも、他にいい音源がないし、、、色々試行錯誤して、JV1080のバグパイプにEnsoniqのMR-RackのバグパイプとKurzuweil K2500のバグパイプ、この3つのピッチを少しずつずらしてディチューンさせたものを混ぜてサンプリングしたように記憶しています。(わかる人だけ分かって下さいまし。)
要は何かしらオリジナリティーがある事をやりたかったんですね。
あらゆる曲でこんな感じの試みをしました。
ゲームのデバック(テストプレイ、バグチェック作業)が面白くてね。
オンラインゲームだから、ログインした状態で、みんなでテストしないとならない。成田さんが
「今日はグスタベルグに14時に全員で入って下さい」
とか号令をかけて、チーム全員でサーバーの負荷テストをするわけです。
ある時バストゥークの港で飛空挺に乗るチェックをしていたら、人だけそこに何十人も残されたまま(空中に浮いたまま)飛空挺だけ飛んで行ってしまった。なんてこともありました。
そういえば植松さんともきっちり一緒に仕事をしたのはこの時が初めてでした。最初に植松さんから来た曲はロンフォール。植松さんは当時忙しくてFFXIの画面をなかなかログインして確認出来なかった。なので僕がロンフォールを歩き回った画像をビデオテープに録画して植松さんのところへ持っていった。「植松さん、ここ歩き回っている時に鳴る曲をお願いします!」そのせいか、植松さんから帰って来た曲の名前はaruki(歩き)になっていた(爆笑)
なので僕のパソコン上では ロンフォールは未だにarukiのままです。^^
そして並行して植松さんが少し調子を崩された。それで想定していた曲を担えなくなる可能性が出て来た。
さてどうしたものかと言う時に、植松さんが首謀して、水田さん、僕の3人である日谷岡さんを会議室に呼び出しました。
植松さん
「おーい谷岡クン。突然だけどものは相談だ!君FFXIの音楽なんか書いてみる気はないかい?」
谷岡さん
「え?え?えーーーーーっ!まじっすか!私が、私がFFの曲書いていいんですかー!」(いつもの調子で^^)
当時、大阪から出て来て間もなかった谷岡さんが大喜びだったのを憶えています。^^
こんないきさつがあって、谷岡さんがFFXIに合流してくれる事になったのでした。(そしてFFXI初期の開発後は谷岡さんと僕はFFCCへ流れることになります)
随分長くなってしまいましたので、二回に分けて。
次回は僕のスクエニ社員生活15年における、最大の失敗談を書きたいと思います。もちろんFFXIがらみのお話です。
ではまた!