赤川新一さん
1月24日
エンジニア・プロデューサーの赤川新一さんが闘病の末、
永眠されました。
「いいね、それやろう」となんでも実践し、
コンソール前に座る赤川さんの大きな背中はいつも頼もしく、
海賊船の「親分」のような存在の方でした。
僕がまだ20代前半の頃、大量の機材を持って大きなスタジオで
初めてレコーディングしたのが、赤川さんとの初仕事。
当時、事務所が一緒という事もありご一緒する機会も増え、
僕が作る音をいつも「くぅー、いい音!」と褒めて頂けたのは、
自分にとって大きな自信となり、今に繋がっています。
赤川さんを通して、沢山の人との出会いもありました。
ある日スタジオに行くと、
「みっちゃんに紹介したい人がいるんだよ、きっとお互い好きな音だよ」、
金子飛鳥さんとの交友は、赤川さんの一言から始まりました。
去年の11月末、
赤川さんと飛鳥さんと3人でレコーディングをしました。
いつも通り赤川さんの「音」は素晴らしかった。
ただ、大きな背中はとても小さくなってて、
僕は正直驚きを隠せなかったけど、あのタイミングで3人ご一緒出来た事、
ただただ、もう本当に言葉にする事が出来ません。
故郷、新潟。
赤川さんは沢山の人に見送られ旅立たれました。
とても厳しい人だった。
とても優しい人だった。
そして、最後まで前向きな人でした。
赤川さんが残してくれた音と記憶は、ずっと生き続けます。
ありがとう、赤川さん、
またいつかその時まで。
鈴木光人