エルパソ郊外の国境地帯で、テキサス州兵軍とメキシコ軍が衝突し、数ヵ月間にわたり緊迫したにらみ合いが続く。最終的にメキシコ側が撤収するが、これがメキシコ政府に大きな禍根を残し、この機に乗じたロシア連邦国の代議員らが、メキシコへ協力を申し出ることとなる。
チェコ政府、サントー・グループと契約
一方では、ますます増加する臨時労働者の移入、他方では、適切な住居の不足という問題に切迫され、チェコ政府は、欧州に拠点を置く大手建設業者、サントー・グループと契約を結び、プラハ郊外に巨大な特殊仮設住宅施設の建設を依託。施設はウトゥレック団地と命名される。
ロジャー・セント・ジョン・フォルクス卿がベルタワー・アソシエイツCEOを正式に辞任。同社の経営権を息子のルーサーとアンドリューに移譲する。実際は、過去10年間の彼のCEOとしての地位は、名目上のものでしかなかった。
ロジャー・セント・ジョン・フォルクス卿がベルタワー・アソシエイツCEOを正式に辞任。同社の経営権を息子のルーサーとアンドリューに移譲する。実際は、過去10年間の彼のCEOとしての地位は、名目上のものでしかなかった。
ケベック州が独立を問う住民投票を要求し扇動を行なうも、カナダ議会はこれに抵抗。この問題に対する世間の関心が失われ、分離運動は空中分解する。
ジャガーノート・グループ事件
ジャガーノート・グループが、パリの人気気象操作士が使用する大気プロセッサーを掌握し、ペイジ・インダストリー主催のイベントを徹底妨害。新たなハッカー集団として鮮烈な登場を果たす。
アフリカ人ポップスター、テロ攻撃により重傷
人気急上昇中のアフリカ人ポップスター、ニアシャ・アキムがラゴスでのテロ攻撃で重傷を負う。戦争で荒廃し疫病が蔓延するナイジェリアで生まれ育った境遇を歌った彼女の楽曲は、世界中のファンの心を捕らえており、多くがろうそくを灯して無事を祈った。
継続する残虐なテロの脅威を受け、国連が一連の検証討議会を開催。新規の超国家的対テロ部隊の将来的な創設を検討する。
アダム・ジェンセン、デトロイト市警を辞任
人質救出作戦の失敗の責任を取り、アダム・ジェンセンがデトロイト市警を辞任。ジェンセンは、デヴィッド・サリフCEOじきじきに、サリフ・インダストリーの企業セキュリティ部門への就任オファーを受け、これを承諾。
オーグ・インシデント
パンチェアからのヒュー・ダロウの放送を切っ掛けとして、後に「オーグ・インシデント」として永遠に歴史に刻まれる出来事が発生。世界中のオーグが精神に異常を来し、他の住人を攻撃。有史以来最大の犠牲者を出す大惨事となる。人口密度が高く、オーグを優遇していた都市の被害がもっとも大きかった。
アダム・ジェンセンの遺体発見
12月、浸水したパンチェアの最奥部にて、ハイロン・プロジェクトの残骸に紛れて、アダム・ジェンセンの遺体が発見。遺体はイルミナティ配下の回収班によって水中から引き上げられ、身元確認と検証のためにバルト海のブラックサイト施設へと極秘輸送される。
ゾフィー・ルジッカ、死去
オーグ・インシデントのさなか、プラハにて、ゾフィー・ルジッカのオーグのボディーガードがヴルタヴァ川へとリムジンを突入させ、結果、両名ともに死亡。ルジッカの死によって、チェコ政府は政策を転換。その後の数ヵ月間で、オーグ推進派の議員は次々と追放、彼らが制定した法律は撤廃されていくこととなる。
パンチェアの生存者
北極海では、救助班がパンチェアへと集結し、生存者を捜索。数少ない生存者の中には、デヴィッド・サリフがいた。ヒュー・ダロウ、チャオ・ユンルー、ビル・タガートらの生存は絶望視。11月半ばまでには、救助活動は回収活動まで縮小され、世界の関心は他の場所へと移っていく。