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岩﨑 英則 Hidenori Iwasaki

岩崎です。 静岡県伊東市出身。 伊東良いトコ一度はおいで♪ 今は鎌倉から新宿まで通う日々。 週末はイタリアンを作るか、江ノ島、葉山を愛犬とドライブ&お散歩するのがルーチンです。 湘南界隈の大型犬飼っていらっしゃる方、お友達になりましょう。

岩﨑 英則

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来月から開発に参加予定のプロジェクトで15年ぶりにイトケンさんこと

伊藤賢治さんとご一緒にお仕事をさせて頂く事になりました。

  昨日は山崎君とその打ち合わせでした。

15年前と言えば、伊藤さんも自分もまだ20代でした。

「チョコボレーシング」というプレステ1のゲームの開発を一緒にやらせて頂いて以来です。

チョコボレーシングはプレステ1というハードの中でも、音楽に使えるメモリーが他の弊社タイトルに比べて著しく少なく、音楽の内蔵音源化制作にはえらく苦労したのを思い出します。

当時512kバイトのサウンドメモリーを効果音と半々ずつ分けて使う→→重要なイベントシーンなどの場合、効果音のメモリーをそこだけ更に少し解放してもらい、半分以上使うなんてことが定番だったのですが、チョコボレーシングはメモリー全体の1/4の128kバイトしかメモリーがもらえなかったのです。

そこでプロジェクト開発開始時点で伊藤さんとメモリーが非常に厳しい中どうやったらいいものが出来るかなど話し合ったのでした。

メモリーの少ない分、サンプリングレートを落とさざるを得なかったので、代わりに、プラグインで派手にEQやコンプをかけてごまかしたりしていたのですよ。そして何より生音系の楽器よりシンセの音色を多用しました。

シンセの音色だと波形のループが組みやすいので、メモリーが減らしやすいのです。

とはいえ、この少ない1曲辺り128kバイトのメモリーの中に贅沢にも

アナログシンセの名器Prophet5、MIDI MINI 、Roland JUPITER8,

Nord Leadなどで僕が一から作った音をサンプリングしては詰め込むという非常に手間と時間のかかる贅沢な作り方をしたのでした。

他にAKAIS3200,Emu IV,Emu Audity2000、Ensoniq MR Rack、Korg Trinity、Roland JV1080,Kurzweil K2500,Alesis DM5,Sample cellなんかも使ったかな。

楽器音を録音する際にはApogeeのAD/DAコンバーターを使っていました。(当時これだけで100万以上!)

最後にサントラを作る時には、当時のプレステ1のDAコンバーター(オーディオ出力)から音を鳴らさずに、秋葉原に行って、デジタルアウトに改造できるチップパーツを買ってきてプレステ1を改造して音楽出力したりしました。(もちろん自己責任でですけど^^;)

いやぁ懐かしい。昨日は色々と当時の話で盛り上がりました。

機会があったら是非サントラも聴いて頂きたいです。

15年まですので、時代を感じる部分もありますが、一から作った音色はオリジナリティーがあり、今でも個性的に感じられる所もたくさんあるかと思いますよ。

というわけで、来月から頑張りたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

(その前に他にやることが山のようにあるんですけどね^^;)

 

岩崎です。

昨日ロサンゼルスで、とあるゲームの音楽収録を行いました。

といっても、僕自身が現地に出向いたわけではなく、ネット回線を使ってリモートでの参加です。

収録が月曜の朝4時からでしたので、自宅よりの参加です。

自宅からハリウッド(ロサンゼルス)にアクセスしてのレコーディングは、なんともエキサイティングでした。隣にハナもいましたし(笑)

理屈的には、相当前から可能になっている技術ですが、実際に体験してみると

やはり違いますね~。

 

いやはや凄い時代になりました。

 

音声は卓(ミキサー)直結で、コミュニケーションはチャットを交えつつ行うというスタイルなのですが、FFXIで鍛えられたチャットの早さが如何なく発揮され(笑)リアルタイムに近い感じでやり取りが出来ました。

ただし、現場に行った方がより意思疎通がより図れるのも事実です。

今回は現地のスタッフの方達が非常に優秀な方たちばかりでしたので、特に

困る事もなく安心して進められました。

ここら辺はプロジェクトの予算などとの兼ね合いで決めれば良いと思います。

まだ情報を公開できなくて残念ですが、オーケストラ楽器の他、民族楽器も収録しを行い、かなり個性的なサウンドに仕上がりつつあります。

どうぞ楽しみにお待ち下さいませ。

岩崎です。

気づいたら7月ですね。そして今日は暑い一日になりそう。

みんな既に書いていますが、ブログをリニューアルして一年が経ちました。。

めでたしめでたし。

リニューアルといっても、実質音楽スタッフ全員が好きな時に書き込めるようになったのは、リニューアルしてからですので、感覚的には開設1周年という所でしょうか。

時の経つのは早いです。時代の流れの中で、ゲームの開発方式もかなり変化して来ました。それに合わせるように我々音楽スタッフの制作スタイルも刻々と変化してきていると思います。

ダーウィンにこんな格言があったと思います。

「この世に生き残る生物は、最も力の強いものではなく、最も頭のいいものでもなく、変化に対応できる生物だ。」

仕事をしていると確かにそうだなぁ、と思う事が多々あります。

さて、ゲームの開発に携わっていると、朝から晩までパソコンの前ですごし、気がついたら夏が終わっていたなんてことが、よくあります。

今年は海に行けるかなぁ。。。

 

岩崎です。

先日,このブログで愛犬ハナが5才誕生日を迎えたので、骨やおやつなど随時募集しております!と軽い冗談で書いたつもりが、本当におやつを贈って来て下さった方がおりました!じゃーん!

 

iwasaki_present.JPG 

Cailyさんどうもありがとう。ハナも大喜びです。

 

 さて、FFXI10周年おめでとう!(2)です。

水田さん、植松さんだけではなく、谷岡さんとも一緒に仕事をするのは初めてでした。

合流した谷岡さんと、最初にやった曲はminoriという曲。FFXI開発ルームというページを作るので、そこで鳴らす曲を下さいというオーダーでした。アコギとリコーダーの牧歌的な曲です。

この曲から後年のFFCC(クリスタルクロニクル)の片鱗を既に感じる事が出来るのも興味深いです。

さて、谷岡さんと1曲仕事をして打ち解けて、こんな会話をしました。

谷岡「私、すご~く機械音痴なんです!」(悪びれることなくきっぱりと)

岩崎「困った事あったら何でも聞いてよ」

それ以来約10年、僕は谷岡さんの機材メンテナンス係となります。

 もう一点

谷岡「私、リズム打ち込むの苦手なんですよ。」

岩崎「そうなんだ。でも印象的なメロディーを書くよね?」

「僕でよければ場合によってはリズムアレンジを手伝おうか?」

谷岡「ぜひぜひ!」


それを踏まえて、次に一緒に作ったのがグスタベルグ。哀愁漂ういい曲が来たなぁと思ったのですが、早速リズムなしで来ました^^(クラベスだけ入ってたかな?)

んじゃリズム足しますか、という事で僕も喜んでやった。

前半はuduという低音アフリカンパーカッション。中盤からは中近東ダラブッカのリズム。中盤のメロディーは、

「あそこは草笛のイメージなんです」と谷岡さんのリクエスト。色々探して、Mexican Piccoloという楽器をあて、ピッチベンドで音程をしゃくったら、それっぽくなった。

 出来上がったものを聴いてもらったら、

「すごい!すごい!ちょ~~かっこいい!」と言って手放しで喜んでくれた。

そのリアクションが当時凄く嬉しかったなぁ。


それから谷岡さんと言えばなんと言っても闇王。

なかなか曲が出来なくて、ある日

「これ以上お待たせする訳にもいかないので、あたし今日は会社に泊まります!」と意を決した日があった。僕は谷岡さんの曲が出来てからが仕事だから、

「おー!頑張ってよ。んじゃ俺は帰るねー」と、呑気に先に帰った。

次の日会社に来たら、

 「岩崎さん!なんとか出来ました。」と倒れる一歩手前のグロッキーな顔してる。

「おおーじゃあ聴かせて聴かせて!」と言って谷岡さんの部屋で聴いたら、あの名曲が鳴ったわけです。

リズムが苦手だと自称する谷岡さんがリズムも自分でかなり作ってありました。カジバノクソジカラというか、なんというかやる時はやるな!と思ったものでした。

 

後は僕の仕事です。イントロのコーラス(アーというクワイア)を凄く怖い感じにして、曲が鳴った瞬間にうわー闇王キターー!という感じが出せるかが肝だと思いました。なので当時としてはイントロのコーラスに物凄く贅沢に容量を使いました。ともかくインパクトある音にしようと。

それとイントロにはリズムがなかったので新たに足したかな?

ストリングスのメロディーが入ってからは、闇王らしいスケールの大きな感じが出るようにと、リズムを派手な方向へとブラッシュアップしました。

今聴くと、クドいくらい、ダーーン!ドーーン!と派手なリズムが入ってますね。

あの時はハリウッドのアクション映画ばりの迫力を出したかったのです。

 

僕が闇王を実際にFFXIのゲーム中で聞いたのは2年ぐらい後の話になりますが、凄くゾクっと来ました(おいおいw)


 

 そういえばボス戦といえば、水田さんのTough Battleも印象深かった。BF戦で鳴る曲。一部の印章戦でも鳴っていたかな?この曲は、ボス戦だから、他のバトル曲より少し大きめに鳴らしたい。と水田さんが言うので大きめに設定しておいたら、効果音の矢島君が飛んで来て、

「なんでこれだけデカイんすかー!下げて下さい!」となった(笑)

冷静な水田さんも負けじと

 「いやこれはデカくならすべきでしょ!」と一歩も引かない。しまいには激しい口論になりました。

それだけみんな本気で取り組んでいたということですね。おかげで、僕はゲーム中に印章取りに行く度に、この事件を思い出していました^^

 

なんだかまた長くなってきましたが、 もう少し続けても大丈夫ですかね?

というかここからが本題です^^;

 

そんなわけで闇王も完成し、初期版に必要な曲がほぼ揃って来た、2002年1月11日その事件は起こりました。

 その日は、ビクタースタジオで植松さん作曲のオープニングムービーの三部曲のフルオーケストラ収録でした。僕はレコーディングに必要なMacと機材を会社の車に積んで目黒を出発、ビクタースタジオのある青山に向かいました。

13時のレコーディングに備えて、他の人より一足先に12時に行って準備です。スタジオについてMacをセッティングして起動すると、画面が真っ白のままで起動しません。??

まぁ、Macはたまにあるから位の気持ちで再起動すると、やはり画面は真っ白。???


冷静に色々調べますが原因はわかりません。???

やがて植松さんがスタジオ入りし、アレンジャーの浜口さん、それに当時のスクウェアからは松下さん、三好さん、イマジンの斉藤さんなど役者が揃い始めます。

弦楽器の奏者さんも何十人とスタジオ入りしてきました。

まだMacは動かないままです。

 実はこのMacが起動しないとレコーディングは始められないのです。

 さすがに相当焦りました。

 オーケストラの奏者さんはスタジオでレコーディングする時はヘッドフォンを付けます。このヘッドフォンから、他の楽器の音を確認したりするのですが、一番の役割としてはガイドのクリック音を聴く事にあります。(メトロノームのような、カチッ カチッとしたテンポを維持してくれる音)

僕のパソコンにこのオープニング三部曲のクリックを鳴らすソフトとファイルが入っているのです。

やや専門的な話に鳴りますが、今ではプロツールズという業界標準の録音ソフトがありますので、クリックをUSBスティックなんかに入れて持って行けば済んでしまいます。

 しかし当時はスタジオでレコーディングするといえば録音機はSONYのヨンパチ(通称)でした。(SONY-PCM3348)

 このヨンパチは平たく言うと48個のパート(トラック)を録音出来るのですが、この中のひとつのトラックに事前にガイドクリックを録音しないといけない。そして録音するにはヨンパチと僕のMacSMPTEという信号を使って同期させないといけなかったのです。

 

温厚な植松さんも、なかなか動かないMacに少しピリピリしてきました。

 

このままコンピューターが起動しないと、何百万という収録費用がパアーになります。

さてどうする!!

もうだめか!!

会社クビになるかな。。

と思いかけた時、助け舟が出ました。

 

イマジンの斉藤さんが、「うちの機材車に今、丁度Macが積んであるかも。そっちでファイルだけ用意出来ればいけるんじゃない?」

そのMacには僕がいつも使っていたPerformerも入っているとのこと。

希望が見えてきました。

じゃあ僕はファイルの用意だ!と言う事で、気持ちを切り替えて会社にいる山崎君に電話をしてデータを探してもらいます。

そして彼から、メールにデータを添付してもらいスタジオのノートパソコン宛に送ってもらいました。

 あの頃はまだメールの送受信も遅かったし、モバイル環境を持っている人はなかなかいなかったので相当ラッキーだったと思います。

 

まさに綱渡り。薄氷を踏む思いでした!

 ここまでで20分位のタイムロス。

なんとか1320に弦楽器のレコーディングは始まりました。

 

写真はその時の様子。左手前から、植松さん、浜口さん、僕。

僕は気のせいか精神的に疲れている感じがしますね(笑)

 

iwasaki_ffxi_rec.jpg

 

レコーディングは順調に進み、時間のロスは挽回したかに見えました。

ところが、最初の遅れがたたり、最後の曲を収録中に予定の時間をオーバーしそうになった。

時間オーバー自体はレコーディングにおいては良くある事なのですが、

運の悪い事にチェロ奏者さんに次の予定が入っていた。こういう場合はどうしょうもない。

演奏の途中でしたが、「私、次がありますんで」といって楽器を片付けて帰ってしまわれた。プレイヤーさんは時間単位で雇われている身なので当然なのですが、残された現場は困りました。

アレンジャーの浜口さんが、

「んじゃチェロが薄くなる部分を後で金管録音する時にトロンボーンで補強してみましょう」と機転を利かせてくれました。

最後は植松さんが

「あれ?ここトロンボーンの方がもともとのチェロより良かったんじゃない?」と僕をかばってくれるかのような発言をして下さり、一同

「そうだね」という雰囲気。なんとか終了。

みんなに助けられたのでした。

 

 収録が終わった時には、精神的に相当まいっていたように記憶しています。

帰りに録音したヨンパチのテープと植松さんを助手席に乗せて、目黒までヘロヘロになりながら車で帰ったのでした。

もちろん、おとがめなどありませんでしたよ。

 

 そんなわけで僕のFFXI回想話はこれで終わりです。他にも色々なエピソードがあるのですが、それはいずれ何かの機会にでも。

ではまた!

 

加筆

谷岡さん本人によれば、最初に作ったのはminoriじゃなくてバストゥークとの事でした。バストゥークは野田くんがオペレートしていたから、僕が最初にやった曲はなんだったんだろう?

2曲目がグスタベルグだったのは間違いないんだけどなぁ。

10年も経つと、記憶が錯綜するものですね。あしからず。

 

 

岩崎です。今日でFFXIサービス開始から丁度10年ですね。

 関係者の皆様おめでとうございます!!

 昨晩ツイッターでFFXI 10周年おめでとう!とつぶやいたら、植松師匠からこんなメッセージを頂き思わず、感極まってしまいました。

 @HidenoriIwasaki ホントに早いねぇ。当時僕はもう疲れきっていて、自分に自身を失くしかけてたの。でも岩崎にマニピュレートをお願いしてあったロンフォールが自分の予想以上の出来で、もし周りに助けてくれる人がいれば自分はまだやれるかもって思ったこと覚えてる。さんきゅ!

何ともありがたい一言です。ありがとうございます。

この節目にFFXI開発初期に関わったスタッフとして、開発当初の事を音楽サイドから振り返ってみようと思います。先週水田さんと10周年で記事書きましょうね~なんて話をしましたので、水田さんもきっと何か書いてくれるはずですよ。

 FFXIのサービス開始は2002年5月15日ですから、ゲーム開発は前年の2001年には始動しておりました。

2001年当時と言えば社名はまだスクウェア。本社は目黒のアルコタワーという場所にありました。目黒川沿いの建物で、桜の季節には絶好のお花見スポットでした。

 我らがサウンド室は9階に、そしてFFXIチームは17階に構えていたように記憶しています。(誰か間違っていたら訂正して下さい)

 リーダーミーティングというのが週一回あって、サウンドからは水田さん、効果音の矢島君、そして当時シンセオペレーターをしていた僕の3名が出席していました。

僕は水田さんが作曲したものを、山のようなシンセ群を使って(当時は24Uラックのタワーが2つあった!)マニピュレート→PS2に内蔵音源化→ミックスという業務がメインでしたが、ハードディスクを使った初のゲームということで、PS2の音のメモリー配分や鳴らし方といった仕様を、矢島君と一緒にメインプログラマーと交渉する役目も担っていました。

 音楽はストリーミング再生でという前提で進んでいたのですが、当時はネットワークの負荷がどのくらいになるのか、など事前に検証しきれない部分も多く、最終的には内蔵音源(このほうが、ハードにやさしいけれど音はどうしてもしょぼめになる)に落ち着いたんですね。

関係者各々と散々やりあったあげく、内蔵音源に決まった時は、すごく悔しかったのを憶えています(笑)

 写真は開発初期にメインのプランナーだった加藤さんが作ってくれた音楽の覚え書きです。こういうのを見ながらゲームの作曲ってスタートするのですよ。

FFXI_BGM案.JPG確かに音楽はストリーミングで!と書いてありますね^^CD1枚というのはサントラの事ではなくてデータサイズの事です。

 リーダーミーティングはFFXIチーム側には弘道さん、石井さん、成田賢さん、加藤さん、みやっちさん なんかがいたかなぁ、、(分かる人だけ分かって下さい) 司会はいつも成田さんがしていましたね。

 植松さんはFFXの作曲と平行していたので、後から合流するから、水田、岩崎で先に進めていてくれみたいな感じでした。

 水田さんと一緒に仕事をするのは初めてでした。

水田さんは大阪時代にパラサイトイブ2などで一人で内蔵音源化までされていたので、分業する以上は、僕が圧倒的なクオリティーを提供しなくては意味がないぞ!という思いで仕事に臨んだのを憶えてます。

幸いにして、FFXIの前哨戦としてテトラマスターというカードゲームの音楽を水田さんと一緒にすることになり、そこでお互いを知る事が出来ました。

 そしていよいよFFXIの開発開始!と言う時に、水田さんが僕の部屋にSTAR WARSCDを持って来ました。

 そして一言「これみたいな鳴り(ナリ)にして下さい。」

 げふっ

 無茶言うなぁと思うの半分、よっしゃやってやるぜ!究極の内蔵音源クオリティーをたたき出してやる!という思い半分でした。当時は機材の量は半端なく持っていましたが、今ほど便利な環境ではなかったので、1曲シンセオペレートして内蔵音源にしてミックスするという作業に平気でまるまる5日かかるなんてこともあり、よく会社に泊まりました。

オンラインゲームの音楽は今までのパッケージのゲームに比べて如何に長く、そして何度も何年にもわたって聴かれる事になるかということは想定していました。

 従来のような高域と低域を持ち上げて派手に鳴らすという手法は取らずに、何百回聴いても飽きないようなサウンドを目指そうと考えました。

 最初の曲はマウラだったかな。

水田さんはサンドリアのつもりで作曲して企画の加藤さんに持って行ったら、「全然違う。もっと大都市なんですよサンドリアは!」という話になった。

 加藤さんはクロノクロスをやられた直後だったので、初めて仕事をする水田さんとしては、少しクロノっぽいサウンドを意識してもっていった所もあったように記憶しています。

まだサンドリアが何かもみんな分からなかった。すべては文章と挿し絵位しかまだなかった。

僕的にはサンドリアといえば、バグパイプ。当時はシンセで使える(実用性がある)バグパイプの音色が限られていて、多くのクリエーターがJV1080(2080) の音を使ってたんですが、絶対にそれは使いたくなかった。でも、他にいい音源がないし、、、色々試行錯誤して、JV1080のバグパイプにEnsoniqMR-RackのバグパイプとKurzuweil K2500のバグパイプ、この3つのピッチを少しずつずらしてディチューンさせたものを混ぜてサンプリングしたように記憶しています。(わかる人だけ分かって下さいまし。)

要は何かしらオリジナリティーがある事をやりたかったんですね。

あらゆる曲でこんな感じの試みをしました。 

 ゲームのデバック(テストプレイ、バグチェック作業)が面白くてね。

オンラインゲームだから、ログインした状態で、みんなでテストしないとならない。成田さんが

「今日はグスタベルグに14時に全員で入って下さい」

とか号令をかけて、チーム全員でサーバーの負荷テストをするわけです。

 ある時バストゥークの港で飛空挺に乗るチェックをしていたら、人だけそこに何十人も残されたまま(空中に浮いたまま)飛空挺だけ飛んで行ってしまった。なんてこともありました。

そういえば植松さんともきっちり一緒に仕事をしたのはこの時が初めてでした。最初に植松さんから来た曲はロンフォール。植松さんは当時忙しくてFFXIの画面をなかなかログインして確認出来なかった。なので僕がロンフォールを歩き回った画像をビデオテープに録画して植松さんのところへ持っていった。「植松さん、ここ歩き回っている時に鳴る曲をお願いします!」そのせいか、植松さんから帰って来た曲の名前はaruki(歩き)になっていた(爆笑)

なので僕のパソコン上では ロンフォールは未だにarukiのままです。^^

そして並行して植松さんが少し調子を崩された。それで想定していた曲を担えなくなる可能性が出て来た。

さてどうしたものかと言う時に、植松さんが首謀して、水田さん、僕の3人である日谷岡さんを会議室に呼び出しました。

植松さん

「おーい谷岡クン。突然だけどものは相談だ!君FFXIの音楽なんか書いてみる気はないかい?」

谷岡さん

「え?え?えーーーーーっ!まじっすか!私が、私がFFの曲書いていいんですかー!」(いつもの調子で^^)

当時、大阪から出て来て間もなかった谷岡さんが大喜びだったのを憶えています。^^

こんないきさつがあって、谷岡さんがFFXIに合流してくれる事になったのでした。(そしてFFXI初期の開発後は谷岡さんと僕はFFCCへ流れることになります)

随分長くなってしまいましたので、二回に分けて。

 次回は僕のスクエニ社員生活15年における、最大の失敗談を書きたいと思います。もちろんFFXIがらみのお話です。

ではまた!