岩崎です。
先日,このブログで愛犬ハナが5才誕生日を迎えたので、骨やおやつなど随時募集しております!と軽い冗談で書いたつもりが、本当におやつを贈って来て下さった方がおりました!じゃーん!
Cailyさんどうもありがとう。ハナも大喜びです。
さて、FFXI10周年おめでとう!(2)です。
水田さん、植松さんだけではなく、谷岡さんとも一緒に仕事をするのは初めてでした。
合流した谷岡さんと、最初にやった曲はminoriという曲。FFXI開発ルームというページを作るので、そこで鳴らす曲を下さいというオーダーでした。アコギとリコーダーの牧歌的な曲です。
この曲から後年のFFCC(クリスタルクロニクル)の片鱗を既に感じる事が出来るのも興味深いです。
さて、谷岡さんと1曲仕事をして打ち解けて、こんな会話をしました。
谷岡「私、すご~く機械音痴なんです!」(悪びれることなくきっぱりと)
岩崎「困った事あったら何でも聞いてよ」
それ以来約10年、僕は谷岡さんの機材メンテナンス係となります。
もう一点
谷岡「私、リズム打ち込むの苦手なんですよ。」
岩崎「そうなんだ。でも印象的なメロディーを書くよね?」
「僕でよければ場合によってはリズムアレンジを手伝おうか?」
谷岡「ぜひぜひ!」
それを踏まえて、次に一緒に作ったのがグスタベルグ。哀愁漂ういい曲が来たなぁと思ったのですが、早速リズムなしで来ました^^(クラベスだけ入ってたかな?)
んじゃリズム足しますか、という事で僕も喜んでやった。
前半はuduという低音アフリカンパーカッション。中盤からは中近東ダラブッカのリズム。中盤のメロディーは、
「あそこは草笛のイメージなんです」と谷岡さんのリクエスト。色々探して、Mexican Piccoloという楽器をあて、ピッチベンドで音程をしゃくったら、それっぽくなった。
出来上がったものを聴いてもらったら、
「すごい!すごい!ちょ~~かっこいい!」と言って手放しで喜んでくれた。
そのリアクションが当時凄く嬉しかったなぁ。
それから谷岡さんと言えばなんと言っても闇王。
なかなか曲が出来なくて、ある日
「これ以上お待たせする訳にもいかないので、あたし今日は会社に泊まります!」と意を決した日があった。僕は谷岡さんの曲が出来てからが仕事だから、
「おー!頑張ってよ。んじゃ俺は帰るねー」と、呑気に先に帰った。
次の日会社に来たら、
「岩崎さん!なんとか出来ました。」と倒れる一歩手前のグロッキーな顔してる。
「おおーじゃあ聴かせて聴かせて!」と言って谷岡さんの部屋で聴いたら、あの名曲が鳴ったわけです。
リズムが苦手だと自称する谷岡さんがリズムも自分でかなり作ってありました。カジバノクソジカラというか、なんというかやる時はやるな!と思ったものでした。
後は僕の仕事です。イントロのコーラス(アーというクワイア)を凄く怖い感じにして、曲が鳴った瞬間にうわー闇王キターー!という感じが出せるかが肝だと思いました。なので当時としてはイントロのコーラスに物凄く贅沢に容量を使いました。ともかくインパクトある音にしようと。
それとイントロにはリズムがなかったので新たに足したかな?
ストリングスのメロディーが入ってからは、闇王らしいスケールの大きな感じが出るようにと、リズムを派手な方向へとブラッシュアップしました。
今聴くと、クドいくらい、ダーーン!ドーーン!と派手なリズムが入ってますね。
あの時はハリウッドのアクション映画ばりの迫力を出したかったのです。
僕が闇王を実際にFFXIのゲーム中で聞いたのは2年ぐらい後の話になりますが、凄くゾクっと来ました(おいおいw)
そういえばボス戦といえば、水田さんのTough Battleも印象深かった。BF戦で鳴る曲。一部の印章戦でも鳴っていたかな?この曲は、ボス戦だから、他のバトル曲より少し大きめに鳴らしたい。と水田さんが言うので大きめに設定しておいたら、効果音の矢島君が飛んで来て、
「なんでこれだけデカイんすかー!下げて下さい!」となった(笑)
冷静な水田さんも負けじと
「いやこれはデカくならすべきでしょ!」と一歩も引かない。しまいには激しい口論になりました。
それだけみんな本気で取り組んでいたということですね。おかげで、僕はゲーム中に印章取りに行く度に、この事件を思い出していました^^
なんだかまた長くなってきましたが、 もう少し続けても大丈夫ですかね?
というかここからが本題です^^;
そんなわけで闇王も完成し、初期版に必要な曲がほぼ揃って来た、2002年1月11日その事件は起こりました。
その日は、ビクタースタジオで植松さん作曲のオープニングムービーの三部曲のフルオーケストラ収録でした。僕はレコーディングに必要なMacと機材を会社の車に積んで目黒を出発、ビクタースタジオのある青山に向かいました。
13時のレコーディングに備えて、他の人より一足先に12時に行って準備です。スタジオについてMacをセッティングして起動すると、画面が真っ白のままで起動しません。??
まぁ、Macはたまにあるから位の気持ちで再起動すると、やはり画面は真っ白。???
冷静に色々調べますが原因はわかりません。???
やがて植松さんがスタジオ入りし、アレンジャーの浜口さん、それに当時のスクウェアからは松下さん、三好さん、イマジンの斉藤さんなど役者が揃い始めます。
弦楽器の奏者さんも何十人とスタジオ入りしてきました。
まだMacは動かないままです。
実はこのMacが起動しないとレコーディングは始められないのです。
さすがに相当焦りました。
オーケストラの奏者さんはスタジオでレコーディングする時はヘッドフォンを付けます。このヘッドフォンから、他の楽器の音を確認したりするのですが、一番の役割としてはガイドのクリック音を聴く事にあります。(メトロノームのような、カチッ カチッとしたテンポを維持してくれる音)
僕のパソコンにこのオープニング三部曲のクリックを鳴らすソフトとファイルが入っているのです。
やや専門的な話に鳴りますが、今ではプロツールズという業界標準の録音ソフトがありますので、クリックをUSBスティックなんかに入れて持って行けば済んでしまいます。
しかし当時はスタジオでレコーディングするといえば録音機はSONYのヨンパチ(通称)でした。(SONY-PCM3348)
このヨンパチは平たく言うと48個のパート(トラック)を録音出来るのですが、この中のひとつのトラックに事前にガイドクリックを録音しないといけない。そして録音するにはヨンパチと僕のMacをSMPTEという信号を使って同期させないといけなかったのです。
温厚な植松さんも、なかなか動かないMacに少しピリピリしてきました。
このままコンピューターが起動しないと、何百万という収録費用がパアーになります。
さてどうする!!
もうだめか!!
会社クビになるかな。。
と思いかけた時、助け舟が出ました。
イマジンの斉藤さんが、「うちの機材車に今、丁度Macが積んであるかも。そっちでファイルだけ用意出来ればいけるんじゃない?」
そのMacには僕がいつも使っていたPerformerも入っているとのこと。
希望が見えてきました。
じゃあ僕はファイルの用意だ!と言う事で、気持ちを切り替えて会社にいる山崎君に電話をしてデータを探してもらいます。
そして彼から、メールにデータを添付してもらいスタジオのノートパソコン宛に送ってもらいました。
あの頃はまだメールの送受信も遅かったし、モバイル環境を持っている人はなかなかいなかったので相当ラッキーだったと思います。
まさに綱渡り。薄氷を踏む思いでした!
ここまでで20分位のタイムロス。
なんとか13:20に弦楽器のレコーディングは始まりました。
写真はその時の様子。左手前から、植松さん、浜口さん、僕。
僕は気のせいか精神的に疲れている感じがしますね(笑)
レコーディングは順調に進み、時間のロスは挽回したかに見えました。
ところが、最初の遅れがたたり、最後の曲を収録中に予定の時間をオーバーしそうになった。
時間オーバー自体はレコーディングにおいては良くある事なのですが、
運の悪い事にチェロ奏者さんに次の予定が入っていた。こういう場合はどうしょうもない。
演奏の途中でしたが、「私、次がありますんで」といって楽器を片付けて帰ってしまわれた。プレイヤーさんは時間単位で雇われている身なので当然なのですが、残された現場は困りました。
アレンジャーの浜口さんが、
「んじゃチェロが薄くなる部分を後で金管録音する時にトロンボーンで補強してみましょう」と機転を利かせてくれました。
最後は植松さんが
「あれ?ここトロンボーンの方がもともとのチェロより良かったんじゃない?」と僕をかばってくれるかのような発言をして下さり、一同
「そうだね」という雰囲気。なんとか終了。
みんなに助けられたのでした。
収録が終わった時には、精神的に相当まいっていたように記憶しています。
帰りに録音したヨンパチのテープと植松さんを助手席に乗せて、目黒までヘロヘロになりながら車で帰ったのでした。
もちろん、おとがめなどありませんでしたよ。
そんなわけで僕のFFXI回想話はこれで終わりです。他にも色々なエピソードがあるのですが、それはいずれ何かの機会にでも。
ではまた!
加筆
谷岡さん本人によれば、最初に作ったのはminoriじゃなくてバストゥークとの事でした。バストゥークは野田くんがオペレートしていたから、僕が最初にやった曲はなんだったんだろう?
2曲目がグスタベルグだったのは間違いないんだけどなぁ。
10年も経つと、記憶が錯綜するものですね。あしからず。