今日はCDを買いに渋谷のタワーレコードに行きました。
ネットで欲しいCDをカートに入れていたんですが、どうしても今聴きたいと思ったからです。
(せっかちな正確なので、、、笑)
やっぱお店の試聴コーナーで聴いて買うのが自分は好きです。
あまり宣伝されていないけど良い音楽もあるし。
自分は昔から1曲でも好きな曲があったら買う派です。
そして購入したのが下記。 洋楽のロック系ばっかです。
どれもクオリティー高いし、人を引きつける何かがありますね〜。
今日はCDを買いに渋谷のタワーレコードに行きました。
ネットで欲しいCDをカートに入れていたんですが、どうしても今聴きたいと思ったからです。
(せっかちな正確なので、、、笑)
やっぱお店の試聴コーナーで聴いて買うのが自分は好きです。
あまり宣伝されていないけど良い音楽もあるし。
自分は昔から1曲でも好きな曲があったら買う派です。
そして購入したのが下記。 洋楽のロック系ばっかです。
どれもクオリティー高いし、人を引きつける何かがありますね〜。
岩崎です。
先日,このブログで愛犬ハナが5才誕生日を迎えたので、骨やおやつなど随時募集しております!と軽い冗談で書いたつもりが、本当におやつを贈って来て下さった方がおりました!じゃーん!
Cailyさんどうもありがとう。ハナも大喜びです。
さて、FFXI10周年おめでとう!(2)です。
水田さん、植松さんだけではなく、谷岡さんとも一緒に仕事をするのは初めてでした。
合流した谷岡さんと、最初にやった曲はminoriという曲。FFXI開発ルームというページを作るので、そこで鳴らす曲を下さいというオーダーでした。アコギとリコーダーの牧歌的な曲です。
この曲から後年のFFCC(クリスタルクロニクル)の片鱗を既に感じる事が出来るのも興味深いです。
さて、谷岡さんと1曲仕事をして打ち解けて、こんな会話をしました。
谷岡「私、すご~く機械音痴なんです!」(悪びれることなくきっぱりと)
岩崎「困った事あったら何でも聞いてよ」
それ以来約10年、僕は谷岡さんの機材メンテナンス係となります。
もう一点
谷岡「私、リズム打ち込むの苦手なんですよ。」
岩崎「そうなんだ。でも印象的なメロディーを書くよね?」
「僕でよければ場合によってはリズムアレンジを手伝おうか?」
谷岡「ぜひぜひ!」
それを踏まえて、次に一緒に作ったのがグスタベルグ。哀愁漂ういい曲が来たなぁと思ったのですが、早速リズムなしで来ました^^(クラベスだけ入ってたかな?)
んじゃリズム足しますか、という事で僕も喜んでやった。
前半はuduという低音アフリカンパーカッション。中盤からは中近東ダラブッカのリズム。中盤のメロディーは、
「あそこは草笛のイメージなんです」と谷岡さんのリクエスト。色々探して、Mexican Piccoloという楽器をあて、ピッチベンドで音程をしゃくったら、それっぽくなった。
出来上がったものを聴いてもらったら、
「すごい!すごい!ちょ~~かっこいい!」と言って手放しで喜んでくれた。
そのリアクションが当時凄く嬉しかったなぁ。
それから谷岡さんと言えばなんと言っても闇王。
なかなか曲が出来なくて、ある日
「これ以上お待たせする訳にもいかないので、あたし今日は会社に泊まります!」と意を決した日があった。僕は谷岡さんの曲が出来てからが仕事だから、
「おー!頑張ってよ。んじゃ俺は帰るねー」と、呑気に先に帰った。
次の日会社に来たら、
「岩崎さん!なんとか出来ました。」と倒れる一歩手前のグロッキーな顔してる。
「おおーじゃあ聴かせて聴かせて!」と言って谷岡さんの部屋で聴いたら、あの名曲が鳴ったわけです。
リズムが苦手だと自称する谷岡さんがリズムも自分でかなり作ってありました。カジバノクソジカラというか、なんというかやる時はやるな!と思ったものでした。
後は僕の仕事です。イントロのコーラス(アーというクワイア)を凄く怖い感じにして、曲が鳴った瞬間にうわー闇王キターー!という感じが出せるかが肝だと思いました。なので当時としてはイントロのコーラスに物凄く贅沢に容量を使いました。ともかくインパクトある音にしようと。
それとイントロにはリズムがなかったので新たに足したかな?
ストリングスのメロディーが入ってからは、闇王らしいスケールの大きな感じが出るようにと、リズムを派手な方向へとブラッシュアップしました。
今聴くと、クドいくらい、ダーーン!ドーーン!と派手なリズムが入ってますね。
あの時はハリウッドのアクション映画ばりの迫力を出したかったのです。
僕が闇王を実際にFFXIのゲーム中で聞いたのは2年ぐらい後の話になりますが、凄くゾクっと来ました(おいおいw)
そういえばボス戦といえば、水田さんのTough Battleも印象深かった。BF戦で鳴る曲。一部の印章戦でも鳴っていたかな?この曲は、ボス戦だから、他のバトル曲より少し大きめに鳴らしたい。と水田さんが言うので大きめに設定しておいたら、効果音の矢島君が飛んで来て、
「なんでこれだけデカイんすかー!下げて下さい!」となった(笑)
冷静な水田さんも負けじと
「いやこれはデカくならすべきでしょ!」と一歩も引かない。しまいには激しい口論になりました。
それだけみんな本気で取り組んでいたということですね。おかげで、僕はゲーム中に印章取りに行く度に、この事件を思い出していました^^
なんだかまた長くなってきましたが、 もう少し続けても大丈夫ですかね?
というかここからが本題です^^;
そんなわけで闇王も完成し、初期版に必要な曲がほぼ揃って来た、2002年1月11日その事件は起こりました。
その日は、ビクタースタジオで植松さん作曲のオープニングムービーの三部曲のフルオーケストラ収録でした。僕はレコーディングに必要なMacと機材を会社の車に積んで目黒を出発、ビクタースタジオのある青山に向かいました。
13時のレコーディングに備えて、他の人より一足先に12時に行って準備です。スタジオについてMacをセッティングして起動すると、画面が真っ白のままで起動しません。??
まぁ、Macはたまにあるから位の気持ちで再起動すると、やはり画面は真っ白。???
冷静に色々調べますが原因はわかりません。???
やがて植松さんがスタジオ入りし、アレンジャーの浜口さん、それに当時のスクウェアからは松下さん、三好さん、イマジンの斉藤さんなど役者が揃い始めます。
弦楽器の奏者さんも何十人とスタジオ入りしてきました。
まだMacは動かないままです。
実はこのMacが起動しないとレコーディングは始められないのです。
さすがに相当焦りました。
オーケストラの奏者さんはスタジオでレコーディングする時はヘッドフォンを付けます。このヘッドフォンから、他の楽器の音を確認したりするのですが、一番の役割としてはガイドのクリック音を聴く事にあります。(メトロノームのような、カチッ カチッとしたテンポを維持してくれる音)
僕のパソコンにこのオープニング三部曲のクリックを鳴らすソフトとファイルが入っているのです。
やや専門的な話に鳴りますが、今ではプロツールズという業界標準の録音ソフトがありますので、クリックをUSBスティックなんかに入れて持って行けば済んでしまいます。
しかし当時はスタジオでレコーディングするといえば録音機はSONYのヨンパチ(通称)でした。(SONY-PCM3348)
このヨンパチは平たく言うと48個のパート(トラック)を録音出来るのですが、この中のひとつのトラックに事前にガイドクリックを録音しないといけない。そして録音するにはヨンパチと僕のMacをSMPTEという信号を使って同期させないといけなかったのです。
温厚な植松さんも、なかなか動かないMacに少しピリピリしてきました。
このままコンピューターが起動しないと、何百万という収録費用がパアーになります。
さてどうする!!
もうだめか!!
会社クビになるかな。。
と思いかけた時、助け舟が出ました。
イマジンの斉藤さんが、「うちの機材車に今、丁度Macが積んであるかも。そっちでファイルだけ用意出来ればいけるんじゃない?」
そのMacには僕がいつも使っていたPerformerも入っているとのこと。
希望が見えてきました。
じゃあ僕はファイルの用意だ!と言う事で、気持ちを切り替えて会社にいる山崎君に電話をしてデータを探してもらいます。
そして彼から、メールにデータを添付してもらいスタジオのノートパソコン宛に送ってもらいました。
あの頃はまだメールの送受信も遅かったし、モバイル環境を持っている人はなかなかいなかったので相当ラッキーだったと思います。
まさに綱渡り。薄氷を踏む思いでした!
ここまでで20分位のタイムロス。
なんとか13:20に弦楽器のレコーディングは始まりました。
写真はその時の様子。左手前から、植松さん、浜口さん、僕。
僕は気のせいか精神的に疲れている感じがしますね(笑)
レコーディングは順調に進み、時間のロスは挽回したかに見えました。
ところが、最初の遅れがたたり、最後の曲を収録中に予定の時間をオーバーしそうになった。
時間オーバー自体はレコーディングにおいては良くある事なのですが、
運の悪い事にチェロ奏者さんに次の予定が入っていた。こういう場合はどうしょうもない。
演奏の途中でしたが、「私、次がありますんで」といって楽器を片付けて帰ってしまわれた。プレイヤーさんは時間単位で雇われている身なので当然なのですが、残された現場は困りました。
アレンジャーの浜口さんが、
「んじゃチェロが薄くなる部分を後で金管録音する時にトロンボーンで補強してみましょう」と機転を利かせてくれました。
最後は植松さんが
「あれ?ここトロンボーンの方がもともとのチェロより良かったんじゃない?」と僕をかばってくれるかのような発言をして下さり、一同
「そうだね」という雰囲気。なんとか終了。
みんなに助けられたのでした。
収録が終わった時には、精神的に相当まいっていたように記憶しています。
帰りに録音したヨンパチのテープと植松さんを助手席に乗せて、目黒までヘロヘロになりながら車で帰ったのでした。
もちろん、おとがめなどありませんでしたよ。
そんなわけで僕のFFXI回想話はこれで終わりです。他にも色々なエピソードがあるのですが、それはいずれ何かの機会にでも。
ではまた!
加筆
谷岡さん本人によれば、最初に作ったのはminoriじゃなくてバストゥークとの事でした。バストゥークは野田くんがオペレートしていたから、僕が最初にやった曲はなんだったんだろう?
2曲目がグスタベルグだったのは間違いないんだけどなぁ。
10年も経つと、記憶が錯綜するものですね。あしからず。
二コ生!
5月30日リリース予定の
『ファイナルファンタジーXIII-2 オリジナル・サウンドトラック プラス』
http://www.square-enix.co.jp/music/sem/page/fabula/ff13-2/plus/
プロモーションの一環として、
サウンドチームから水田・河盛・鈴木の3名がニコ生に出演致します。
『FFXIII-2 OST PLUS』にまつわる制作裏話や生演奏(?)等、
何が飛び出すか僕達もまったくわかりません。笑
ニコニコ生放送 ゲームのじかん 第91回
http://live.nicovideo.jp/watch/lv91868670
放送時間は5/24(木)21:00~
是非ご覧下さい~^^
ではみなさん、良い週末を!
Mitsuto Suzuki
昨日の岩崎さんのブログに続き、僕も当時のことを思い出して書いてみたいと思います。
いまでこそ、ゲームがネットにつながっているというのは当たり前の話ですが、当時はまだまだ一般的ではなく、僕も"UltimaOnline"というゲームを知識として知っているという程度でした。
ましてや、FFXIのように多人数が同時にネットにつないで同じ世界で遊ぶMMORPGというジャンルのゲームは、まだほとんどの人がどのようなものか理解すらしていないような感じでした。
そんな状況だったので、これから作ろうとするMMORPGというゲームはいったいどんなゲームなのかということを、まずはひととおり体験して理解するために、会社から1台のPCと、そのジャンルで代表的な、ある1本のゲームソフトが渡されました。サウンド代表として僕の部屋にそのPCをおいて、そのゲームをみんなで遊んでみることになったのです。
その場には、同僚の岩崎さん、山崎さん、そして唯一そのゲームの経験者である矢島さんなどが一緒にいたと記憶しています。
ゲームをインストールして、キャラクターを作ってというところまでは、いままでのゲームと変わりありませんでした。
名前やクラス(ジョブ)を決めて、さて、いよいよゲームのフィールドに降り立ちました。ぽつんと立つ自分のキャラクター。
なにか途方もなく広大な、未知の世界に突然連れてこられたようで、何をすればよいのか全く分からず呆然と立ち尽くしている自分。
すると、ふと目の前を自分とよく似たエルフのキャラクターが走り抜けていきました。そのとき、僕の後ろでいろいろ教えてくれていた矢島さんがひと言、
「いまのはPCっすね」
僕:「えっ、PCって?」
矢島さん:「ですから、どこかで誰かが操作しているキャラということです」
それをきいた瞬間の衝撃を今でも覚えています。
見知らぬだれかが、一緒にこの画面の中にいる!?
どういうことだと、周囲をうろうろ歩いてみました。
すると、今駆け抜けていった人だけでなく、他に何人もの人が、会話をしたり、モンスターのようなものと戦っているのが目に入りました。
僕:「これ全部誰かが操作しているキャラなの?」
矢島さん「そうですね。ホラ、あそこではパーティー組んで戦っていますよ」
こ、これは、とんでもないゲームだ...ゲームというか、これはもう世界そのものじゃないか...と感動で胸がいっぱいになりました。
いままでゲームといえば、たとえどんな大作であっても、すべてはあらかじめプログラムされてCDやDVDに焼きこまれて固定されたデータであり、プレーヤーが再生していくそれらは有限であるという限界がありました。(そこには、たしかに美しいグラフィックで描かれたマップや素晴らしいストーリーやがありましたが)
しかし、いま体験したゲームは全く概念からして違う。
会話をすれば、生身の人間と会話することであって、あらかじめ用意されているデータが表示されるのではない。
バトルをすれば、ヒール(ケアル)してくれるのは誰かが実際にそうしてくれてるのであって、けしてプログラムされたものではない。
これを究極のゲームといわずしてなんという!!
それくらいの勢いで、本当に興奮してしまったものです。
その日は、みんなが帰ってしまってからも終電ぎりぎりまで遊んでしまいました。
そして、気がつくとMMORPGの底なしの魅力に取りつかれてしまったのです。
...開発のお話とはちょっと関係のない話題になってしまいましたね。
ただ、それくらいの衝撃が当時はあったということです。
さて、FFXIの音楽をどうしようかとあれこれ考えていたある日、植松さんがひょっこり僕のブースに現れました。
植松:「みずたー、テトラマスターっていうゲームの音楽の仕事があるんだけど、やってもらえるかな~?」
水田:「えっ、植松さん、もう僕FFXIやるだけで本当にいっぱいいっぱいで、なんせ初めてFFやらせてもらえることになって、とてもじゃないけどそんな余裕ありまs」
植松:「えっ、やってくれる!? ありがとう! じゃ、よろしくー!!」
てなわけで、「テトラマスター」というカードゲームの音楽も同時に担当することになりました。
(ちなみにそのゲームのディレクターは、現在「キングダムハーツ」シリーズのCo.ディレクターとして活躍中の安江さん)
今から考えるとこのゲームを担当してとてもよかったと思います。
というのは、FFXIの音楽は、岩崎さんのシンセ・オペレートとタッグを組んでやることになっていたのですが、まずはこのゲームを先にやることでお互いを知るきっかけとしてよいスタートアップになったのです。(のちに野田さんも合流)
それまで僕は、作った曲をプレイステーションの内蔵音源に載せるところまで自分でやっていたので、このように作曲から先の手順を人任せにしたことはありませんでした。
もちろん岩崎さんの仕上がりに期待はしていましたが、それと同時に、ちゃんと意図したとおりの音に仕上げてもらえるのかという不安も少しはあったと思います。(今では考えられないことですが)
さて、テトラマスターではじめて岩崎さんと仕事をすることになって、まず驚いたのは機材の量!
ラックにうず高く積み上げられたシンセサイザーとサンプラーの山をみて嬉しくなってしまいました。これらを駆使して曲を仕上げてもらえるのだな、と。
実際作業が始ってみると、本当に楽しかったのを思い出します。
たとえば僕が、こんな感じの笛の音ないですかというと、「ホイきた」とばかり出てくる笛の音色の数がハンパない。
聞いたことのない笛の音を出してくれたり、こんなのはどうでしょう?では、これは?という具合にで、まさに人間検索エンジン。とても頼もしかったです。
また、そんなのどっちでもいいじゃないかというような細かいこだわりでも、いやな顔一つせず修正につきあってくれて、ありがたかったです。
扱う機材にもこだわりがありました。
ケーブルは極太の特注品。
普通のオーディオケーブルは、先端を機材のINとOUTのどちら側に差し込むかはとくに決まっておらず、どちらでもいいのですが、そのケーブルは違いました。
楽器のOUTに差し込むほうと、録音機材のINに入れるほうとが指定されているのです。
シンセの音色をデジタルデータに変換するADコンバーターという機材も、目玉が飛び出るような高額の機材を使っており、正直、PS2の内蔵音源にするにはもったいないような使い方でした。
ただ、実際の音色もよかったですし、そういう姿勢で曲を仕上げてくれる仲間にこちらも気が引き締まる思いでした。
そうやってテトラマスターができ上がるころには、お互いばっちり信頼関係も築くことができ、来るべきFFXIの曲の仕上げも安心して任せることができるようになっていました。
話はテトラマスターの話題になってしまいましたが、僕の中で当時の制作の様子はこのあたりと切っても切れず、一緒になっているのです。
「ファイナルファンタジーXI」の音楽開発は、このようにして幕を開けました。
さて、お読みいただいた皆様に感謝の気持ちをこめて「テトラマスター」の曲を1曲お届けします。
ここでしか聴くことのできない、未CD化音源です!
(写真は、当時の開発資料。手書きのカレンダーは、締め切り前のぎりぎりの状態、スケジュールで苦労している様子)
「テトラマスター」より
岩崎です。今日でFFXIサービス開始から丁度10年ですね。
関係者の皆様おめでとうございます!!
昨晩ツイッターでFFXI 10周年おめでとう!とつぶやいたら、植松師匠からこんなメッセージを頂き思わず、感極まってしまいました。
@HidenoriIwasaki ホントに早いねぇ。当時僕はもう疲れきっていて、自分に自身を失くしかけてたの。でも岩崎にマニピュレートをお願いしてあったロンフォールが自分の予想以上の出来で、もし周りに助けてくれる人がいれば自分はまだやれるかもって思ったこと覚えてる。さんきゅ!
何ともありがたい一言です。ありがとうございます。
この節目にFFXI開発初期に関わったスタッフとして、開発当初の事を音楽サイドから振り返ってみようと思います。先週水田さんと10周年で記事書きましょうね~なんて話をしましたので、水田さんもきっと何か書いてくれるはずですよ。
FFXIのサービス開始は2002年5月15日ですから、ゲーム開発は前年の2001年には始動しておりました。
2001年当時と言えば社名はまだスクウェア。本社は目黒のアルコタワーという場所にありました。目黒川沿いの建物で、桜の季節には絶好のお花見スポットでした。
我らがサウンド室は9階に、そしてFFXIチームは17階に構えていたように記憶しています。(誰か間違っていたら訂正して下さい)
リーダーミーティングというのが週一回あって、サウンドからは水田さん、効果音の矢島君、そして当時シンセオペレーターをしていた僕の3名が出席していました。
僕は水田さんが作曲したものを、山のようなシンセ群を使って(当時は24Uラックのタワーが2つあった!)マニピュレート→PS2に内蔵音源化→ミックスという業務がメインでしたが、ハードディスクを使った初のゲームということで、PS2の音のメモリー配分や鳴らし方といった仕様を、矢島君と一緒にメインプログラマーと交渉する役目も担っていました。
音楽はストリーミング再生でという前提で進んでいたのですが、当時はネットワークの負荷がどのくらいになるのか、など事前に検証しきれない部分も多く、最終的には内蔵音源(このほうが、ハードにやさしいけれど音はどうしてもしょぼめになる)に落ち着いたんですね。
関係者各々と散々やりあったあげく、内蔵音源に決まった時は、すごく悔しかったのを憶えています(笑)
写真は開発初期にメインのプランナーだった加藤さんが作ってくれた音楽の覚え書きです。こういうのを見ながらゲームの作曲ってスタートするのですよ。
確かに音楽はストリーミングで!と書いてありますね^^CD1枚というのはサントラの事ではなくてデータサイズの事です。
リーダーミーティングはFFXIチーム側には弘道さん、石井さん、成田賢さん、加藤さん、みやっちさん なんかがいたかなぁ、、(分かる人だけ分かって下さい) 司会はいつも成田さんがしていましたね。
植松さんはFFXの作曲と平行していたので、後から合流するから、水田、岩崎で先に進めていてくれみたいな感じでした。
水田さんと一緒に仕事をするのは初めてでした。
水田さんは大阪時代にパラサイトイブ2などで一人で内蔵音源化までされていたので、分業する以上は、僕が圧倒的なクオリティーを提供しなくては意味がないぞ!という思いで仕事に臨んだのを憶えてます。
幸いにして、FFXIの前哨戦としてテトラマスターというカードゲームの音楽を水田さんと一緒にすることになり、そこでお互いを知る事が出来ました。
そしていよいよFFXIの開発開始!と言う時に、水田さんが僕の部屋にSTAR WARSのCDを持って来ました。
そして一言「これみたいな鳴り(ナリ)にして下さい。」
げふっ
無茶言うなぁと思うの半分、よっしゃやってやるぜ!究極の内蔵音源クオリティーをたたき出してやる!という思い半分でした。当時は機材の量は半端なく持っていましたが、今ほど便利な環境ではなかったので、1曲シンセオペレートして内蔵音源にしてミックスするという作業に平気でまるまる5日かかるなんてこともあり、よく会社に泊まりました。
オンラインゲームの音楽は今までのパッケージのゲームに比べて如何に長く、そして何度も何年にもわたって聴かれる事になるかということは想定していました。
従来のような高域と低域を持ち上げて派手に鳴らすという手法は取らずに、何百回聴いても飽きないようなサウンドを目指そうと考えました。
最初の曲はマウラだったかな。
水田さんはサンドリアのつもりで作曲して企画の加藤さんに持って行ったら、「全然違う。もっと大都市なんですよサンドリアは!」という話になった。
加藤さんはクロノクロスをやられた直後だったので、初めて仕事をする水田さんとしては、少しクロノっぽいサウンドを意識してもっていった所もあったように記憶しています。
まだサンドリアが何かもみんな分からなかった。すべては文章と挿し絵位しかまだなかった。
僕的にはサンドリアといえば、バグパイプ。当時はシンセで使える(実用性がある)バグパイプの音色が限られていて、多くのクリエーターがJV1080(2080) の音を使ってたんですが、絶対にそれは使いたくなかった。でも、他にいい音源がないし、、、色々試行錯誤して、JV1080のバグパイプにEnsoniqのMR-RackのバグパイプとKurzuweil K2500のバグパイプ、この3つのピッチを少しずつずらしてディチューンさせたものを混ぜてサンプリングしたように記憶しています。(わかる人だけ分かって下さいまし。)
要は何かしらオリジナリティーがある事をやりたかったんですね。
あらゆる曲でこんな感じの試みをしました。
ゲームのデバック(テストプレイ、バグチェック作業)が面白くてね。
オンラインゲームだから、ログインした状態で、みんなでテストしないとならない。成田さんが
「今日はグスタベルグに14時に全員で入って下さい」
とか号令をかけて、チーム全員でサーバーの負荷テストをするわけです。
ある時バストゥークの港で飛空挺に乗るチェックをしていたら、人だけそこに何十人も残されたまま(空中に浮いたまま)飛空挺だけ飛んで行ってしまった。なんてこともありました。
そういえば植松さんともきっちり一緒に仕事をしたのはこの時が初めてでした。最初に植松さんから来た曲はロンフォール。植松さんは当時忙しくてFFXIの画面をなかなかログインして確認出来なかった。なので僕がロンフォールを歩き回った画像をビデオテープに録画して植松さんのところへ持っていった。「植松さん、ここ歩き回っている時に鳴る曲をお願いします!」そのせいか、植松さんから帰って来た曲の名前はaruki(歩き)になっていた(爆笑)
なので僕のパソコン上では ロンフォールは未だにarukiのままです。^^
そして並行して植松さんが少し調子を崩された。それで想定していた曲を担えなくなる可能性が出て来た。
さてどうしたものかと言う時に、植松さんが首謀して、水田さん、僕の3人である日谷岡さんを会議室に呼び出しました。
植松さん
「おーい谷岡クン。突然だけどものは相談だ!君FFXIの音楽なんか書いてみる気はないかい?」
谷岡さん
「え?え?えーーーーーっ!まじっすか!私が、私がFFの曲書いていいんですかー!」(いつもの調子で^^)
当時、大阪から出て来て間もなかった谷岡さんが大喜びだったのを憶えています。^^
こんないきさつがあって、谷岡さんがFFXIに合流してくれる事になったのでした。(そしてFFXI初期の開発後は谷岡さんと僕はFFCCへ流れることになります)
随分長くなってしまいましたので、二回に分けて。
次回は僕のスクエニ社員生活15年における、最大の失敗談を書きたいと思います。もちろんFFXIがらみのお話です。
ではまた!